残業の果てに辿り着いた、僕の新しい世界

女子社員の暇つぶし

会社の時計は21時を指していた。ようやく仕事が片付いた解放感と、金曜日の夜という事で、女子社員たちはお菓子をつまみながら軽口を叩いている。

「もうやることないし、暇つぶししよっか」

悪戯っぽい声が飛ぶ。
その時、彼女たちの視線が一斉にこちらに向けられた。軽い冗談だと思った。けれど、次の瞬間には彼女たちが椅子を引いて立ち上がり、手には見慣れたうちの女子社員の事務服を抱えていた。

「これ、着てみてよ」

目の前に差し出されたのは、グレーのタイトスカートと、それと対になるベスト、白いブラウス。それから透明感のあるパンストだ。

「いやいや、何言ってるんですか」

動揺を隠しきれずに声を上げるが、彼女たちは止まらない。冗談混じりの勢いに押され、断り切れず気づけば袖を通していた。

ブラウスは軽く、肌に吸い付くようだった。細かなプリーツが丁寧に仕立てられていて、ボタンを留める指が震えた。スカートを履くとき、膝に沿う柔らかなラインが自分の体を異様に意識させた。
そして最後にパンスト。薄く、繊細で、それでいて抵抗するような弾力がある。脚に這わせるたび、冷たい感触が伝わり、呼吸が浅くなる。

「似合うじゃん!」

彼女たちの笑い声が響く。その無邪気な視線の下、羞恥心が胸を焼いた。歩こうとするとスカートがわずかに引きつれる。普段感じたことのない違和感と妙な居心地の悪さ。それでも、笑い声の中心にいる自分を意識すると、奇妙な高揚感があった。

「写真撮るよ、動かないで!」

スマホのシャッター音が響く。彼女たちの指示に従い、言われるがままポーズをとる。撮られるたびに視線が熱を帯び、頭が真っ白になった。

「ねえ、これ着たまま帰ってみる?」

一人がそう言った瞬間、部屋が一瞬の静寂に包まれる。
その提案に反論しようと口を開いたが、彼女たちの笑みが広がると、言葉はどこかへ消えていった。


僕は無事に家まで帰れるのだろうか…。


渡された使いかけのリップ

夜風が頬を撫でる中、僕はひとり駅に向かって歩いていた。タイトスカートが膝にまとわりつき、パンスト越しに感じる冷気が妙にリアルだ。

「大丈夫だって、誰も気づかないよ」


送り出される際に彼女たちが笑いながら囁いた言葉が、頭の中で反響する。
――気づかないわけがない。

心拍が異様に早い。普段のスーツ姿とはまるで違う様に聞こえる足音がアスファルトに響く。その度に周囲の視線がすべて自分に注がれているように感じられる。

駅に着くと、自動改札の前で足が止まった。人混みに溶け込めば、きっと誰も気にしない。そう頭では分かっているのに、体が動かない。

そのとき、不意に後ろから肩を叩かれた。

「ねぇ忘れ物、これ」

振り返ると、彼女たちの一人が立っていた。手には近くのショップの紙袋が握られている。

「開けてみて?」

言われるがまま袋を開けると、中には見覚えのない大きめサイズの真っ赤なパンプスと、小ぶりのポーチが入っていた。

「今、買ってきてあげたんだよ。ちゃんと最後まで“仕上げ”ないとね」

彼女は悪戯っぽく笑いながらそう言った。

「そんな、これ以上は…」

僕は震える声で拒否しようとするが、彼女は笑みを浮かべて首を振る。

「いいから。ほら、早く早く!」

そう促されるまま、駅の隅でパンプスに履き替え、ポーチから取り出されたのは真っ赤なリップ。

「私が使っていたやつだけど、あげるね。その方が興奮するでしょ?」

そう言われ、僕は無言で唇に滑らせる。手が震えて、きれいに塗れない。

「うん、大丈夫。これで帰れるね」

満足げに頷く彼女に、どうしてここまでするのか尋ねることもできなかった。

改札を抜け、電車に乗り込むと、車内の視線が一斉に僕を刺すような気がした。心臓が喉元まで跳ね上がる。そのとき、ふいにスマホが震えた。

画面を見ると、彼女たちからのメッセージが届いている。

「次はもっと楽しいこと考えてるから、楽しみにしててね」

その文字を見た瞬間、僕の心が奇妙にざわついた。
まるで、これが終わりではないと言われたような気がして――。

いや、むしろ、終わりを望んでいない自分がいるのかもしれない。
電車の窓に映る僕の姿。そこにはもう、見慣れた会社員の顔ではなく、どこか違う「誰か」がいた。


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