僕に似合う洋服
僕は昔から足が細い。ウエストも細いし、身長も低い。ファストファッションブランドの男性用ジーンズは、履いてみるとどうしても足元が余るし、ウエストもガバガバだ。
母親に相談すると、
「女性物なら合うんじゃない?」
と言われて、渋々試してみたら、意外にもそれがしっくりきた。
それ以来、高校時代までは親が買ってきたレディースのデニムを履いていた。大学生になった今、それを続けるのはなんだか恥ずかしい。
自分で選んで、自分で買うべきだと思った。
けれど、店で女性物を手に取る勇気はなかった。人の視線が刺さりそうだ。僕はスマホで検索を始めた。”人気のプチプラブランド”というフレーズに釣られて、ある通販サイトでデニムを注文した。ネットの写真ではどちらかと言えば中性的に見えたし、これならバレないだろうと安心していた。
届いたデニムを開けた瞬間、違和感が走る。生地が妙に柔らかく、手触りがなめらかすぎる。それにウエスト部分が高い。試しに履いてみると、確かに丈はぴったりだった。でも、ハイウエストのデザインのせいでお腹回りが締め付けられ、少し苦しい。それにお尻が不自然にふっくらしていて、鏡を見た瞬間、男物では絶対にあり得ないシルエットになっていた。
「でも、買い直すお金ないし…」
新しいのを買う余裕はない。僕は諦めて、そのデニムを履いて大学に向かった。
その日は、朝から何となく視線を感じていた。気のせいかと思っていたけれど、構内を歩いていると同じ講義を受けていた女子が言った一言で全てが崩れた。

「ねえ、それって私が履いてるデニムと同じじゃない?」
「えっ?」
僕は硬直した。
「ほら!ここ見て?」
彼女は笑いながら、自分のデニムを見せてくれた。そう、今日僕が履いている物と全く同じものだった。タグのロゴまで一緒だ。
最近は男性がレディースを履く事も多いのだが、購入したブランドがまずかった。後から知ったのだが、このブランドは10代や20代の女子に人気のフェミニンを売りとしたブランドだったのだ。
まわりの女子たちがざわざわと笑い出し、僕の顔は一瞬で真っ赤になった。
「え、男の子なのにあそこのデニム履いてるの?」
「まさか女装?スカートなんかも持ってるの?」
「あのブランド可愛いよね!私もワンピース持ってるよ」
冗談混じりの声が飛び交い、僕はその場で消えたくなった。けれど、それからはもっと酷かった。
翌日には、クラスのほとんどが僕の「女子デニム事件」を知っていた。すれ違うたびにクスクス笑う声が聞こえる。
その日の午後、数人の女子に呼び出された。教室の隅で話していた彼女たちが、僕に
「ちょっとついてきて」
と言う。断る勇気もなく、僕は彼女たちについて行った。
近くのマンションの一室。彼女たちの一人の自宅らしい。入るなり、僕は押し込まれるようにソファに座らされ、クローゼットから次々と服が取り出された。
「どうせなら、ちゃんと似合う格好してみようよ!」
「もったいないよ、その顔と体型なら絶対可愛くなる!」
秘密がバレた
「ほら、これ着てみてよ!」
膝上のデニムスカートと体にぴったりフィットする白いリブニットを手渡される。拒否する暇もなく、僕はそれを押し付けられた。
「いや、無理だって!」
僕が抗議すると、一人が軽く笑いながら肩を叩く。
「大丈夫、みんなに内緒にするから。それに、せっかくだから楽しんじゃおうよ!」

半ば強引に服を脱がされ、スカートを履かされる。デニムスカートは柔らかくて軽く、意外と締め付け感が少ない。でも、それが逆に落ち着かない。視線がどこか宙を泳ぐ中、ニットをかぶせられると、体のラインが妙に強調される感じがした。
「悪くないけど、なんか足りない気がするなあ」
彼女たちの一人が首を傾げると、別の女子が声を上げる。
「やっぱり下着だよ!男物じゃバランスが変になるって」
「ちょっと待って、それはさすがに……」
そう言う間もなく、目の前にブラとショーツが差し出された。ブラは薄いレースが縁取りされたもので、ショーツも同じ柄だ。
「大丈夫、これAカップ用だし、そんなに胸張らないよ!」
そんな問題じゃない、と心の中で叫ぶけれど、僕の声はいつもよりも小さい。気づけば、彼女たちの手のひらで着替えさせられていた。
初めて身につけたブラは思った以上にきつく、肩に違和感が走る。でも、ショーツの滑らかな感触には、不覚にも心地よさを感じてしまった。
「すっごい可愛いじゃん!これで完璧!」
鏡を向けられた僕は、そこに立っている「女の子」を見て言葉を失った。
――これが僕?
微かに膨らんだ胸元、揺れるスカート、そして全体的に華奢な印象を与える自分の姿。それは確かに「僕」だったけれど、普段の僕とは違う「誰か」に見えた。
「これ、全部あげるから持って帰りなよ!」
そう言って彼女たちは楽しそうに笑ったけれど、僕の中では何かが引き裂かれる音がした。
―――数日後
結局、彼女たちに押し付けられるようにして持ち帰った服や下着を、僕は捨てることができなかった。
それどころか、次の日には試しにブラとショーツを身につけてみた。驚いたことに、それが驚くほどしっくりきた。特にブラの胸を軽く締め付ける感触は、なぜか安心感を与えてくれるような気がした。
最初は家の中だけにしておこう、と思った。でも、緩めの服を着ればバレないだろうと自分に言い訳して、大学にもつけていくようになった。
そしてその日、例のハイウエストのスキニーデニムを履いて大学に行った時、それは起きた。
「ねえ、ちょっと待って」
背後から声をかけられ、振り向くと例の女子たちが立っていた。彼女たちは何かを目ざとく見つけたようで、目を輝かせながら近づいてきた。
「もしかして……今日、下着つけてる?」
「えっ、いや、何言ってるの?」
とっさに否定するけれど、女子たちはスキニーの後ろ側を指差した。
「見て、これパンティラインじゃない?」
その一言で、血の気が一気に引いた。慌てて手で押さえようとするが、彼女たちの視線と笑い声に動きが鈍る。
「やっぱりハマっちゃったんだぁ!女装に!」
「もう隠さなくていいよ!絶対似合うってわかってたもん」
「ねえ、次はスカート履いてきてよ!ワンピースも見たい!」
周囲の学生たちの視線が僕たちに集まる中、女子たちは勝手に僕の「次のコーディネート」を決め始める。僕は言い返すことも、逃げ出すこともできなかった。
ただ胸元のブラの感触を意識しながら、頭の中で一つだけ思っていた。
――僕は、一体どうなっていくんだろう。
埋め尽くすレディースの服
翌朝、僕は窮地に追い込まれていた。朝、着替えようとクローゼットを開けた時、全ての男物の服が部屋に無いのだ。その事に気付くと同時に、LINEの通知音が鳴った。例の女子たちからだ。
「昨日こっそりお邪魔して、メンズの服を全部捨てておいたよ!そのかわりに別の服を置いておいたから!」
スマホを持つ手が震える。クローゼットの下にある紙袋を見てみるとリブニットとデニムスカート、それにブラとショーツが入っていた。一限に遅れそうな焦りが、まともな判断力を奪っていく。
「もう迷っている時間はない!」

鏡の前で一瞬だけ自分を見た。デニムスカートは短すぎるし、リブニットは体のラインを強調しすぎる。髪を軽く整えて出かけたが、大学までの道中、視線が突き刺さるように感じた。それでも足を止められないまま教室にたどり着いた。
ドアを開けた瞬間、視線が一斉に僕に集まる。
「おはよー! うわ、めっちゃ可愛いじゃん!」
例の女子たちが嬉々として駆け寄ってくる。一方で男友達たちは一瞬顔をしかめ、何も言わずに席を移動していった。その様子に胸が締め付けられる。これで本当に最後だ。もう男友達はいなくなる。
授業中、僕はノートを開きながら、無意識に膝上のスカートを直していた。周囲の女子たちがヒソヒソと話す声が聞こえる。
「あれ、本当に男なの?」
「めっちゃスタイル良くない?」
頭の中で全てを無視しようとするけど、肩越しに感じる視線が、否応なく現実に引き戻してくる。
休み時間になると、女子たちが僕の周りに集まった。
「次はこれ着てみない?」
スマホの画面に映るのは、花柄のワンピースだった。ふわっと広がるシルエットが、まるで僕を完全に『女の子』に仕立て上げるための一着のように見えた。
「いや、僕はこれ以上……」
言いかけた言葉が喉に詰まる。彼女たちは明るく笑いながら、僕にとって逃げ場を与えない空気を作り出している。そしてその場にいる唯一の味方だったはずの男友達は、既に僕の周囲にはいなかった。
―――数週間後。
スカートやワンピースを着る生活は、完全に日常になっていた。最初は抵抗があったはずの洋服たちは、気づけば僕のクローゼットを埋め尽くしている。そして、周囲の女子たちは毎日僕のコーディネートを決めるのが楽しみらしい。
一方で、僕の存在は「男子」からは完全に無視されるようになっていた。講義中、男子たちのグループが笑いながら僕を指差すのを感じることがある。それでも、女子たちの楽しそうな笑顔や、僕を「かわいい」と褒めてくれる言葉が、なぜか心の中の小さな居場所になっていた。
「次の休み、みんなでショッピング行こうよ!」
そう提案された僕は、断ることもせず頷いていた。その頃にはもう、自分が何を目指しているのか、どこへ向かっているのか、自分でもよく分からなくなっていたのかもしれない。
ただ一つ確かなのは……僕はもう、以前の僕には戻れないということだ。
始まる肉体の女性化
ショッピングの帰り道、両手にレディースブランドのショッパー持ちながら帰路に就く。その時、女子たちの一人が僕の肩を叩いてきた。
「これ、いいの見つけたんだ。試してみない?」
彼女が差し出した小さなそれは、見たことのないラベルのサプリメントの様な物だった。聞けば、海外の通販サイトで見つけた「女性らしさを引き出すホルモン」だという。
「え、ホルモン?」
少し笑って冗談だと思おうとしたが、彼女の目は真剣だった。
「今さら怖気づくの?もうみんなも期待してるし、どうせやるならとことん可愛くなったほうが楽しいでしょ?」
軽い調子で言われたその言葉に、僕は押し流されていく感覚を覚えた。やめたいならいつでもやめられる。そう自分に言い聞かせながら、軽い気持ちでそのボトルを受け取った。
数週間後、変化は少しずつ、だが確実に僕の体に現れ始めた。朝、鏡を見たとき、胸のあたりが少し膨らんでいるのに気づいたときの驚きは忘れられない。触れると、わずかな張りと熱があった。スカートを履いているときも、ウエストの曲線が今までとは違うことに気づいてしまう。
「本当に効果あるんだね!すごい!」
女子たちは僕を見るたびに歓声を上げた。その声が嬉しいような、でもどこか怖いような、不思議な感覚だった。
けれど、変化は外見だけではなかった。ある日、講義中にふと気づいたのは、自分の声が以前より柔らかくなっていることだ。会話の中でふとした瞬間、言葉の響きがまるで他人のように感じる。自分の身体が遠のいていくような感覚に、冷たい汗が流れた。
数ヶ月が経つ頃には、僕は完全に女子グループの「仲間」として受け入れられていた。スカートやワンピースを着て、女子たちと写真を撮る日々。彼女たちは僕を囲み、「可愛い!」を連呼する。
けれど、ふとした瞬間、鏡に映る自分が「僕」ではないことに気づく。曲線を描く腰、柔らかく丸みを帯びた頬、ブラウスの下に微かに浮かぶ膨らみ。指先までもが細く滑らかになり、動きさえ女性的になっていた。
一番の衝撃は、その夜、シャワーを浴びていたときだ。自分の股間がかなり小さくなってしまっている事に気が付いた。久しく勃起もしていない。それどころか、性的に興奮する事が無くなっていた。
「これ、やめないとまずいよ……」
女子たちにそう言ったとき、彼女たちは困ったような顔をしてこう言った。
「一度始めちゃったら、もう戻れないんだよね」
「え?」
言葉の意味が理解できなかった。
「ホルモンを続けてたら、体はもう元に戻らないよ。完全に女性化が進んでるから」
その言葉を聞いた瞬間、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。戻れない?以前の僕に?

女子たちは励ますように微笑み、僕の肩を叩いた。
「でも、今のほうが可愛いし、みんなも喜んでるよ!気にしないで楽しもうよ!」
それでも僕は、以前の自分に戻れない絶望を抱えたまま、微笑むしかなかった。
その夜、鏡の前で自分を見つめた。そこにいるのは、もう「僕」ではなかった。胸元を覆う布地がやけにリアルに感じられ、スカートの中の滑らかな肌が自分のものではないように思える。
―――このまま、僕は消えていくのだろうか。
自分の意志で始めたはずの女装が、今では僕自身を侵食し、すべてを飲み込んでいく。明日、女子たちはまた何を提案してくるのだろう。
そう考えると、絶望の奥底でひしひしと蠢く、自分は女としてしか生きていく事が出来なくなった現状に、心臓がドキドキと高鳴った。恐怖と興奮の入り混じった感情に、僕はまだ抗えないままだった。
消滅する男としてのプライド
「ねぇ、私たちはもう女子友だよね?」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
――女子友。
男として生きてきたはずなのに、今の僕はもうどこから見ても女の子にしか見えないらしい。彼女たちは僕を当然の様に「女の子」として認識した。
「ねぇ、いいでしょ?どうせこの先、女子として生きていくことになるんだから!」
どうせこの先――?
言葉が詰まる。彼女たちは楽しそうに笑っている。もしここで「違う」と言えば、どんな反応をするのだろう。もう元の僕には戻れない。男友達は一人もいなくなった。なら、今さら「違う」なんて言う資格があるのだろうか?
「……」
声が出ない。
「制服ディズニーしようよ!それから、お泊まり会も!メイクももっと練習して、可愛くなろ?」
彼女たちの期待に満ちた声が耳に響く。胸の奥に広がるのは、甘いような、苦いような感情だった。
「……うん」
気づけば、僕は頷いていた。
クローゼットを開けると、そこにあるのはすべて女物の服だった。スカート、ワンピース、リブニット、レースのついたブラウス。数ヶ月前まで男物の服が並んでいたはずなのに、今はその面影すらない。
女子友としての生活は、驚くほどすぐに馴染んだ。
「ほら、もう少し口角上げて!そうそう、めっちゃ可愛い!」
スマホの画面に映るのは、ピンクのワンピースを着た僕。軽く巻かれた髪、ほんのり色づいた唇。少し前まで鏡の中にいた「僕」とはまるで違う。

「メイクもだいぶ慣れてきたじゃん!次は彼氏作ろっか!」
「えっ……?」
その言葉に息が詰まる。
「だって、もう完全に女子じゃん?男として過ごした時間より、これからの女子としての時間のほうが長くなるんだよ?」
女子としての時間のほうが長くなる――その言葉が、やけに現実味を持って胸に突き刺さる。
もう、僕はどこまで行くのだろう。
そして、どこまで行けば「僕」を捨てられるのだろう。
「……うん」
また、僕は頷いてしまった。
その瞬間、何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。



