69点の罰

屈折した弟への愛情

弟の試験の期末テストの結果が出た。リビングには重い沈黙が流れていた。

弟の手元にある答案用紙には、赤いペンで「69」と書かれている。

私は必死にフォローをする。

「ま…まあ、平均点40点だし、頑張った方だと思うよ」

自分でも無理があると思っていたが、落ち込む弟の姿を見ると言わずにはいられなかった。

母は冷たい笑みを浮かべると、静かに告げた。

「でも、70点以下は罰則だったわよね?」

弟の顔がみるみる青ざめていく。

「あと1点じゃないか!何とか今回は……」

「ルールはルールよ」

弟が抗議しようとするのを、母は遮った。

「いい? 次の試験で5教科480点を超えるまで、あなたには相応の罰を受けてもらうわ」

そう言いながら、母は何かを取り出した。それは、小さな女の子が着るようなセーラーワンピース。特徴的な紺色の襟に、ふんわり広がるスカートの裾が揺れた。

「えっ……」

「明日から、これを着て学校へ行きなさい」

瞬間、弟の顔が真っ赤に染まる。

「ふ、ふざけるなよ!」

「ふざけてないわ。勉強ができないなら、せめて可愛くしておきなさい」

弟は歯を食いしばり、ぐっと拳を握りしめたが、結局は母の威圧に勝てず、静かにうなだれた。

翌朝、私は弟の姿を見て、思わず息を呑んだ。

肩までのふわふわしたウィッグをかぶせられ、ぱっちりとした目を縁取るように軽くメイクまで施されていた。

ワンピースの袖元のレース、白いソックス、つま先に小さなリボンがついたローファー。完璧だった。

弟はまるで泣きそうな顔をしながら、ぎこちなくスカートの裾をつまんでいた。

「い、行ってきます……」

蚊の鳴くような声で呟くと、弟はゆっくりと家を出た。
私は、その背中を見送ったまま、立ち尽くしていた。

こんな姿を見られたら、弟の学校での生活は終わりかもしれない。からかわれるに違いない。

――なのに。

なぜか、胸が妙にざわついた。

罰則生活が始まってから、弟の様子は少しずつ変わっていった。

最初は嫌がっていたのに、次第にスカートの扱いがこなれてきた。母の前では悔しそうにしていたが、鏡を前にすると、ほんの少しだけ、表情が緩む瞬間があった。

外に出るときは、ピンクのカーディガンを羽織らされ、リボンをつけられた。

その姿があまりにも自然で、可愛くて──私は目を奪われていた。

私は姉なのに。家族なのに。
こんな感情、抱いちゃいけないのに。

弟のまつ毛がひらりと揺れる。

仕草が、声が、日を追うごとに女の子らしくなっていく。

「ねえ、あんた本当に480点取るつもりあるの?」

思わず意地悪な質問をしてしまった。

弟はピクリと肩を震わせ、困ったように笑った。

「……まあね」

その曖昧な答えに、私はドキリとする。

――もしかして、もう元に戻るつもりがないのでは?

もし480点を超えてしまったら、もうこの生活をやめなければならない。

私が見ていたい、この可愛らしい弟は消えてしまう。

「……ねえ、本当はどっちがいいの?」

「そ、それは……」

弟の唇が、何かを言いかけて、止まる。

私の心境はコーヒーにミルクを入れてかき回した様に、ぐるぐると回り続けていた。


罰が罰では無くなる日々

僕の家系は代々優秀な家庭だ。
祖父も父も名門大学を卒業し、母もまた厳格な教育方針のもとで育った人間だった。自然と、僕にもそれ相応の成績が求められた。
 
けれど、僕には優秀な姉がいた。何をやっても彼女には敵わない。両親は常に姉と僕を比較し、僕にプレッシャーをかけた。

そんな中、ある試験で僕は70点以下を取ってしまった。その結果、母は「罰」として僕に女児服を着せ、学校に通わせることにしたのだ。

さらにその「罰」は家の中でも罰は続いた。
リビングで過ごすときは、フリルのついた可愛らしい部屋着を着せられた。ピンクや水色、柔らかいパステルカラーの服ばかりで、胸元や袖には小さなリボンが揺れていた。

寝るときは、これまた女児用のパジャマ。パステルカラーの柔らかな生地が肌に触れるたび、妙にくすぐったい気持ちになった。

外出時には、もっと徹底された。
ワンピースやスカートが当たり前になり、メイクを施され、ウィッグも被せられた。母は器用に髪を整え、自然に見えるようセットしてくれた。もはや僕が「男」だと分かる人間は、ほとんどいなかっただろう。

最も苦痛だったのは、親戚の集まりや冠婚葬祭だった。幼い頃から顔を合わせていた親族の前で、僕は女児用のスーツやワンピースを着せられ、上品に振る舞うことを求められた。母の指導は厳しく、「淑やかに」と何度も注意された。

最初は、恥ずかしさで頭が真っ白になった。
スカートの裾が揺れるたび、視線が僕に集まるたび、心臓が縮こまるような気がした。
でも──

ある日、ふと気づいてしまった。
羞恥心に身を焼かれる感覚が、次第に変わってきたことに。

外を歩くとき、すれ違う人々が僕を「女の子」だと認識しているのが分かる。
親戚の家で、叔母が「まあ、なんて可愛いの」と微笑んだとき、胸の奥が妙に疼いた。
鏡の中の自分が、以前の自分とはまるで違う存在になっていくのを見て──
気づいてしまった。

僕は、この姿を「受け入れている」
いや、むしろ──

悦んでいる。

スカートの裾をそっと指で摘む。
長く伸びたまつ毛の影が頬に落ちる。

これは「罰」のはずだった。

……なのに、僕は、次の試験で480点を超えてしまったら元の生活に戻らなければいけない…。「親に強制されている」という言い訳ができなくなる。その事を考えると無性に不安になるのだった。


492点

試験の日がやってきた。

シャープペンの芯を繰り出す音、カリカリと紙を擦る音、隣の誰かが小さく息を呑む気配。教室には独特の緊張が満ちていた。
僕は机に向かい、深く息を吸った。
準備はしてきた。抜かりはない。

……本当にそうだろうか?

心のどこかで、矛盾する想いが渦を巻いていた。

だけど、鉛筆を走らせる手は迷わなかった。
問題はスラスラ解けた。言葉も数式も、まるで僕のために用意されていたかのように、すんなりと頭に馴染んだ。

僕はこの試験に勝つ。勝たなければならない。

なのに——

勝ったところで、何を得るのだろう?

結果は492点だった。

手にした答案用紙を見つめる。端には朱色の丸印。
今回の試験の結果が僕の「罰」を終わらせる。
つまり、僕は自由になる。元の僕に戻る。

「やったわね!」

母が弾けるように笑った。

「良くやった!おめでとう!」

父も満足げに頷く。

「もう元の生活に戻っていいわよ」

その言葉を聞いた瞬間、なぜだろう。
僕の喉の奥で、言葉が詰まった。

戻れはずなのに。
やっと、戻れるはずなのに。
スカートの裾を無意識に握りしめていた。
布の柔らかさ。指先に残る感触。

この服を着たまま、学校へ行った。
この服を着たまま、街を歩いた。
この服を着たまま、鏡に映る自分を見つめた。

それらが今、あまりにも鮮明に蘇る。
本当に戻っていいのだろうか。

その時だった。

「ねえ」

お姉ちゃんが不意に口を開く。

彼女はゆっくりと視線を落とし、なにかを確かめるように、僕を見つめた。

「せっかくここまできたのに、また元の生活に戻るの?」

全身の血管が波打った。

「でも……」

僕は咄嗟に反論しようとする。だけど、お姉ちゃんの言葉がそれを遮る。

「ここまで女の子の格好が馴染んでるのに?この格好のお陰で結果もついてきたのに?何より……」

姉ちゃんの手が僕の肩に触れる。

「なんだか、楽しそうだったよね?」

ドクン。

まるで見透かされているようだった。
まさか、そんなはずはない。

これは罰だったはず。最初は恥ずかしくて、苦しくて、どうにかして抜け出したかった。

なのに。
なのに、今は?

唇を噛む。答えを出せないふりをする。
お姉ちゃんの言葉を、しばらく反芻する。
悩んだふりをする。

そして——

「……このままでいい」

気がついたら僕は小さく返事をしていた。


姉が選んだご褒美パジャマ

お姉ちゃんがそのパジャマを買ってきたのは、僕が「このまま女の子の格好を続ける」と口にしてから数日後のことだった。

「毎日頑張ってるよね! 少しでも癒されてほしくて、買ってきちゃった」

そう言って差し出された袋の中には、フリルがふんだんにあしらわれた、うすいピンクの部屋着。
細い肩紐、胸元には小さなサテンのリボン、男なら絶対に切れないものだ。

「これ……下、どうすればいいの?」

そう聞いた僕に、お姉ちゃんはふっと微笑んで、耳元で囁いた。

「履かなくていいんだよ。 お腹冷やさないようにだけ気をつけてね」

その言い方があまりに自然で、優しくて、逆らう余地なんてなかった。
僕は素直にそのパジャマを着て、お姉ちゃんの前に立った。

「かわいい……まるで本物の妹みたい…」

「似合ってる?」

聞くつもりなんてなかったのに、口が勝手に動いていた。

「うん、すごく……。ねえ、こっちおいで?」

お姉ちゃんの手が僕の腕を引く。
そのままベッドの上、お姉ちゃんの膝の上に座らされて、抱きしめられる。

パジャマ越しに、お姉ちゃんの肌の温度を感じた。
甘いシャンプーの匂いが鼻先をくすぐって、息が詰まりそうだった。

「”妹”の頑張っている姿を見れて、お姉ちゃん、ほんとに誇らしい」

その声が、胸にじんわりと染み込んでくる。
お姉ちゃんの手が、ゆっくりと背中をなでていく。
背筋にぞくりとした感覚が走った。
その手の動きが、明らかに“撫でている”以上の何かを含んでいると気づいたのは、それから数秒後だった。

「……ねえ、ずっとこのままでもいいよね。女の子のままでさ。だって、こんなに可愛いんだもん」

耳元で囁く声が甘く、とけるようで。
まるで催眠みたいに、体が言うことを聞かなくなる。

「お姉ちゃんが、もっと女の子らしくしてあげるね」

そう言って、お姉ちゃんの指先が、うすい布のすそを、ふわりと持ち上げた――

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