楽屋侵入の代償
俺はその夜、完全に理性を失っていた。
ライブが終わったばかりのステージ裏。
観客の歓声の余韻がまだ残る会場の空気は熱気を含んでいて、耳の奥には〖LUMINA☆STARS〗の歌声がこびりついて離れない。
その中心にいた――俺の推し、「美音(みお)」。
彼女の姿をもっと近くで、もっと鮮明に、もっと濃厚に感じたい。
そんな欲望に抗えなくなった俺は、誰もいないタイミングを見計らい、楽屋のドアをそっと押した。
「……っ」
カチャ、と小さな音。心臓が破裂しそうなほど脈打つ。
中はしんと静まり返っていた。
視界に飛び込んできたのは――煌びやかなドレスの群れ。
ステージライトを浴びるために作られた衣装たちが、ラックに規則正しく並んでいる。
そして、その中に――さっきまで美音が着ていた衣装。
白いフリルが幾重にも重なったスカート、胸元に光るラインストーン。
近づいただけで、ふわりと甘いシャンプーの香りが漂ってきた。
「……これ、だ」
手が勝手に伸びる。布を握った瞬間、驚くほど柔らかくて、体温が残っているような気さえした。
胸の奥から、熱がドクドクと溢れる。
俺は震える手でその衣装を鼻に近づけた。
「っ……はぁ……」
鼻腔に流れ込む、甘ったるい香りと汗の匂い。
女の子特有の体温を含んだ匂いに、頭がクラクラして、腰のあたりが勝手に熱を帯びていく。
「や、やばい……これ……っ」
理性が完全に溶け落ちていく。
俺は無我夢中で、その衣装に顔を埋めた。
――その瞬間。
ガチャリ、とドアが開いた。
「……なにしてるの?」

凍りつく。
振り返った俺の視線の先に立っていたのは、ほかでもない本人――美音だった。
ステージ上で見せる笑顔とは正反対の、驚き、氷のように冷たい瞳。
俺は呼吸が止まった。
「……っ、あ……あのっ!ちが、違うんです!」
言葉にならない声を上げ、俺は反射的に床に膝をついた。
ガンッと固い床に額を叩きつける。
「ご、ごめんなさい!ほんとにっ、出来心で!警察だけは……!」
額に冷や汗が滲む。鼓動が耳の奥で爆音みたいに響く。
このまま捕まるのか?俺の人生、ここで終わるのか?
恐怖と絶望で全身が震えた。
しばらくの沈黙。
美音はドアを閉め、カツ、カツとヒールの音を響かせながら俺の正面に立った。
見下ろす瞳には怒りも軽蔑も混じっている。
「最低……」
その唇がゆっくり吊り上がる。
ゾクリと背筋が震えた。
「でも……警察には言わないであげる」
「ほ、本当ですか……!?」
「その代わり――あんた、明日から事務所のスタッフね。雑用全部、やってもらうから」
突き刺さるような声色に、俺はうなだれた。
スタッフ?雑用?でも、捕まるよりは……。
「……は、はい……なんでも……します……」
「ふふっ。いい返事」
美音はしゃがみ込み、俺の顎をぐいっと指先で持ち上げた。
至近距離で見つめられる。甘い香りと視線に射抜かれ、心臓が飛び出しそうになる。
「逃げたら、分かってるよね?」
にこり、と笑う美音の顔。けれどその笑みは、舞台の上で見たものとはまるで違った。
冷酷で、俺を弄ぶことを決めた支配者の顔。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
喉の奥がカラカラで、返事すらまともに出ない。
「……はい」
その一言を絞り出した瞬間、俺の自由は終わった。
背徳と恐怖に塗り潰された新しい日々が始まろうとしている――。
雑用の日々
翌日から、俺の屈辱的な生活が始まった。
アイドルの裏方――「LUMINA☆STAGE」の雑用スタッフ。
といっても、華やかなものじゃない。
朝一番、事務所の掃除。
「そこの埃、見えてる?やり直し」
「遅い。もっと手を動かして」
美音は事あるごとに俺を監視し、冷たい声で指示を飛ばす。
「ねぇ、こいつ新しく雑用で入ったんだよ。何かあったら使ってやってよ!」
美音が他のメンバーに紹介する。幸い、衣装に手をかけたことは黙っていてくれた。
ライブはほぼ毎日行われる。ステージの裏では音響スタッフやダンサーが忙しなく動いているのに、俺だけが雑巾とゴミ袋を持ち、額に汗をにじませていた。
重い機材を運ばされ、膝を打ち、腕に痣を作っても「早くして!」と一言で済まされる。
トイレ掃除の最中、ドア越しに聞こえるメンバーたちの笑い声。
同じ建物にいながら、俺は彼女たちの世界の一員ではなく、ただの小間使いだった。
でも――逃げることはできない。
逃げれば、警察に突き出される。
「……楽屋にさえ……忍び込まなければ……」
自分の愚かさを噛みしめながら、モップを握りしめる。
こうして数日が過ぎ、俺は屈辱と汗にまみれた日々に沈んでいった。
――そして、ある日のことだった。
「ねえ、退屈」
美音が突然そう言ったのは、リハーサルの合間。
俺が楽屋の隅で段ボールを片付けていると、椅子に座った彼女が脚を組み替えて俺を見下ろしていた。
「ちょっと、こっち来て」
「……はい」
おそるおそる近づくと、彼女は机の上のメイクポーチを開いた。
「じっとして」
「え……え?な、なんでしょうか……」
「いいから」
ぐいっと顎を掴まれる。冷たいリキッドが頬やおでこに点々と置かれ、指先でぐいぐいと伸ばされていく。むらなく塗り広げられるたび、肌がじんわり熱を帯びる。
まぶたにアイシャドウが乗せられ、まつげにマスカラが塗られていく。
メイクブラシの先が頬をサッと撫で、さらさらのパウダーチークが重ねられる。
「んっ……」思わず声が漏れた。
最後に指先が唇をなぞり、ぬるりと艶が広がる。
「似合うじゃん。ほら、鏡見てみな」
差し出された手鏡に映る俺。
赤らんだ頬、艶めく唇、少し伏せた目尻――そこには、見知らぬ“女の顔”があった。
「……えっ……い、いや……恥ずかしいです……」
震える声が勝手に漏れる。
美音はクスリと笑い、次に取り出したのは――フリルだらけのドレス。
ステージで見た、あの衣装だった。
「さ、着て」
「む、無理です!そんなこと……!」
「これが欲しくて楽屋に忍び込んだんでしょ?私に逆らえないことくらい、わかってるよね?」
挑発の笑みに、俺は喉を詰まらせた。
差し出された衣装は、舞台照明を反射するラメの生地に、胸元には大ぶりのリボン。肩口にはふわふわのフリルが重なり、スカート部分は幾重ものチュールとパニエで膨らんでいる。赤と白を基調にしたミニ丈のアイドルドレスは、どう見ても俺が着るには不釣り合いだ。
布を握った瞬間、サテンのつるりとした感触が指先を溶かす。観念して袖を通すと、二の腕にフリルが食い込み、細身のウエスト部分が容赦なく締めつけてくる。胸元のカップは空っぽなのに、形だけは女性の膨らみを想定していて、滑稽さと羞恥が同時に押し寄せた。
裾を引き下ろした途端、軽やかなスカートが太ももをかすめ、レースの裏地が肌にひやりと貼り付く。
「っ……」ぞわりと背筋が粟立ち、汗ばんだ皮膚に光沢の布がぴたりと吸い付いた。
鏡に映った自分――女の子しか着てはいけないような衣装を身にまとい、メイクまで施された俺。
それを推しのアイドルに命令され、見られる屈辱。

「……恥ずかしい……でも……」
羞恥と混ざって、なぜか体の奥から熱が湧いてくる。
「ほら、回ってみて」
「え……」
「聞こえなかった?回って」
言われるままに身体をひねる。フリルがひらりと舞い、スカートが太ももを撫でる。
胸の奥がズキンと疼いた。
恥ずかしいはずなのに、身体は冷めるどころか熱を帯びていく。
「気づいた?」美音の声が耳元に落ちる。
「どんどん女の子になっていく自分に……興奮してる」
「ち、違います……俺は……」
否定する声は震えて、裏返る。
美音はくすりと笑い、裾をつまんでひらひらと揺らした。
「じゃあ、このスカートの中で大きくなっているのは何?」
「本当は、かわいくされるのが嬉しいんでしょ?」
「鏡を見てごらん。ほら……可愛い“女の子”が映ってるよ」
俺は首を振るが、スカートの中で隠しきれない熱が脈打ち、言葉よりも雄弁に真実を示していた。
「ふふ、これからもっと可愛くしてあげるね……もう、普通の男には戻れなくしてあげる……」
彼女の囁きが、耳の奥に焼き付いた。
俺はもう逃げられない――そう思った瞬間、背筋をぞくりと震わせながら、知らない快感に足を踏み入れていた。
翌朝、楽屋の片隅。
美音に呼ばれて近づくと、机の上に見慣れない袋が置かれていた。
「開けてみて」と言われ、中身を覗いた瞬間、息が止まる。
――レース付きのパンツと、同じ柄のブラジャー。
「今日から毎日これ、ちゃんと着けてきてね。私が着てたやつ」
美音はさらりと言った。
「え……む、無理です! そ、そんなの……」
声が震える。
「無理じゃない。義務」
彼女は目を細めて笑った。
「逆らったらどうなるか、わかってるよね?」
彼女に逆らえない事は、自分が一番わかっている。
俺はただ頷き、袋を握りしめるしかなかった。
それからの日常は、とにかく下着着用をバレないよう、誤魔化すことに必死だった。
朝、ブラとレースをつけて出勤する。透けない様に黒いTシャツを着る事が多くなった。下はデニム一択だ。
Tシャツの下でブラのホックが背中に食い込み、胸を横から押さえつける感覚。
腰にはりつくレースのパンツは、座るたびに細かい布地が肌を擦ってくる。
「ここ汚れてるぞ」
「こっちの段ボールも運んで!」
「喉乾いたから何か買ってきてくれない?」
スタッフや他のメンバーの声に返事をしながら、俺は必死に作業する。
しゃがんでモップを絞るたび、襟元から見えないか常に気に掛ける。
誰かに見られている気がして背筋が凍るのに、下着は容赦なく俺を包み込む。
冷や汗をかきながらも、ブラの締めつけが、レースの感触が、羞恥と同時に奇妙なたかぶりを呼び起こしていた。
屈辱のはずなのに――身体の奥では、別の欲望が静かに膨らんでいたのだ。
夜、美音に呼ばれる。
「ほら、着替えてみて」
彼女が持ってきたのは、ふわふわのピンクのワンピース。胸元に小さなリボン、裾にはレース。まるで少女向けの私服だ。
「こ、これ……俺には……」
言いかけた瞬間、顎を掴まれて遮られる。
「言い訳禁止。すぐ着るの。もう誰もいないんだし」
逆らえず、俺はTシャツを脱ぎ、下着姿になる。
ブラに押さえつけられた胸、レースのパンツ、赤らんだ頬。
そして、その上にワンピースをかぶる。
さらりとした布地が肩を包み、スカートがふわりと広がる。
腰に沿ってリボンが揺れ、足首まで軽やかに裾が踊った。
「似合うじゃん。やっぱり、かわいいね」
美音が笑う。その目には、もう俺を男として見る光はない。
「……っ、こんな格好……恥ずかしいです……」
震える声で答えながらも、心臓が熱を帯びていく。
「でも、嫌じゃないでしょ?気付いてるよ。段々女装できるのが嬉しくなってきてるでしょ?」
囁かれて息を呑む。
否定できない。羞恥にまみれているのに――鏡の中の俺は、ワンピースを着て微笑みそうになっていた。
昼はスタッフとして隠れて女物の下着を着け、
夜は美音に呼ばれてアイドルみたいな私服を着せられる。
机を拭いていても、段ボールを運んでいても――
肩に食い込むブラ紐と、股間に密着するレースが、常に俺を女に縛りつける。
誰にも知られず、ひとりだけ秘密を抱えたまま働く背徳感。
そして夜には、美音の前で「可愛いね」と褒められながら、ワンピースやスカートを身につける。
そのたびに羞恥で頬が熱くなるのに、身体の奥では甘い疼きが膨らんでいく。
(俺……おかしくなってる……)
そう思いながらも、鏡に映る“女の自分”を否定できなくなっていた。
羞恥に溺れ、背徳に震えながら、俺は確かに――女装に快感を覚え始めていた。
「今日はね、特別なご褒美をあげる」
美音がクローゼットを開け、新しいステージ衣装を取り出した。
赤に金糸の刺繍が施され、裾にはふわふわのフリルが幾重にも重なった――明日の新曲用の衣装。
「これ……美音さんも袖を通してない衣装じゃ……!」
「そう。だから一番に着させてあげる。嬉しいでしょ?」
強引に袖を通され、ウエストをぎゅっと締め上げられる。
パニエが膨らみ、スカートがふわりと広がる。ペチパンも穿かせて貰えず、鏡の中には下着のレースが丸見えの自分が映っていた。
「さ、仕事の続きしなよ」
美音が床に雑巾を投げる。
「この格好で……?」
「当たり前でしょ?ほら、四つん這いになって。衣装、汚さないでよ」
観念して膝をつき、スカートを揺らしながら床を拭く。
腰を動かすたび、フリルの下から覗くレース。
汗がにじみ、羞恥と恐怖で呼吸が乱れる。

そのとき――。
廊下から近づく足音。複数人の話し声。
「ねぇ、新曲の新しい衣装ってもう出来てるんだっけ?」
「たしか楽屋にあったと思うよ」
「一度合わせてみようか」
メンバーとスタッフの声が聞こえる。
冷や汗が背中を伝う。
次の瞬間。
――ガチャリ。
ドアノブが回る音が、楽屋に響き渡った。
【おしまい】
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