帰路
冷たい風が肌を刺す。真冬の午後、僕は校門の前に立ち尽くしていた。
ブルマ姿で。
腕は半袖の体操服に覆われているが、袖口から入り込む風が骨の髄まで冷やしてくる。脚なんてもう感覚がない。それでも、じっとしているわけにはいかなかった。
「さっさと歩きなよ、お兄ちゃん」
妹がすぐ後ろに立ち、スマホを構えていた。顔は笑っている。でも、その瞳にはどこか冷たいものが宿っている。
放課後の教室に姉と妹がやってきたときから、もう逃げ場はなかった。
「兄のせいで、クラスでいじられた」
妹はそう言った。今日の日中に行われた校内マラソン大会。そこで僕は全校生徒の前で、女子よりも遅い最下位と言う惨めな姿をさらしてしまった。そのせいで妹までクラスで笑われたらしい。
「だから、お兄ちゃんも同じ思いをしてよ」
冬の冷気に晒された素肌が震える。もちろん拒否をした。しかし、姉の言葉が僕の心を縛った。
「わかるよ、あんたが拒否したい気持ち。でも、兄のせいでいじられる妹の気持ちも考えてあげなきゃ」
諭すような声で、優しく。逃げ場を奪うように。
僕は何も言えなくなった。
どこから持ってきたのか、ウィッグをつけさせられたとき、もう何もかも諦めるしかないと思った。

「さ、歩いて」
妹が促す。
校門を一歩出る。全身が燃えるように熱くなる。冷たい風が皮膚を刺すはずなのに、心臓が焼けつくようにドキドキしていた。
僕の姿を見た同じ学校の生徒たちが、何かを言いながらこちらを見ている。笑いを噛み殺すような顔。驚きと困惑と、少しの好奇心。
足がすくむ。
それでも進むしかない。
次の角を曲がれば、もっと多くの視線が降り注ぐのはわかっていた。近所の人、通りかかる他校の生徒たち——。このまま歩けば、もっと見られる。
そして——
耐えられないほどの羞恥が、僕を押し潰しそうになった。
それでも、止まることはできなかった。
玄関の前
角を曲がり、人通りの多いメインストリートに出た。
この時間、近隣の学校はどこも下校の時間だ。他校の生徒の好奇のまなざしが突き刺さる。息が詰まりそうなほどの羞恥が、僕を押し潰しそうになった。それでも、止まることはできなかった。
とにかく足早に、自宅に帰ることを最優先に歩を進める。
――家に着いたとき、僕は全身の力が抜けそうになった。寒さと緊張で足元がおぼつかない。それでも玄関のドアノブに手をかける。
ガチャ。
……開かない。
「え?」
もう一度、今度は強く回してみる。それでもドアはびくともしない。
その瞬間、背後からスマホのカメラ音が聞こえた。
「まだ罰は終わってないよ?」
振り向くと、妹が玄関の前に立っていた。スマホの画面には僕の狼狽えた顔が映っている。
「な、なんで……開けてよ」
「ダメ。お兄ちゃん、まだ全然足りてないもん」
妹の目が冷たく笑う。後ろには姉もいて、苦笑いをしている。
「……どういうこと?」
「さっきの道、わりと人が少なかったでしょ? だから、もう少しちゃんと歩いてこなきゃ」
「ま、待って……本当に寒いんだって」

「じゃあ、ちゃんとおねだりしてみたら? 『寒いからお家に入れてください』って、可愛くね?」
「……っ」
妹の声は甘く、でも残酷だった。
寒さが骨まで染みる。でも、それ以上に、玄関先でブルマ姿のまま足止めされるという事実が、僕の心を引き裂きそうになった。
部室
「寒いからお家に入れてください!」
僕は必死に妹に訴えた。この恥ずかしい格好をこれ以上、近所の人に見られ続けるのは耐えられない。
だが、妹は腕を組んで僕を見下ろすと、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふーん……風邪をひかれても困っちゃうしね。いいよ、鍵を開けてあげる」
「本当!?」
「……ただし、条件があるけどね」
妹はポケットから鍵を取り出し、わざとらしくカチャカチャと鳴らしながら言った。
「条件?」
「うん。その条件は、お姉ちゃんに決めてもらうことにする」
そう言うと、妹は後ろにいた姉の方を振り返る。すると、そこには腕を組んで考え込む姉の姿があった。
「お姉ちゃん、何かいい条件ある?」
「うーん……」
姉は困ったように顎に手を当て、僕と妹を交互に見つめる。そして、しばらくの沈黙の後、ふっと口を開いた。
「じゃあ……チア部に入らない?」
「……え?」
思ってもいない言葉に、僕は凍りついた。
「チア部?」
「そう。私たちの代が卒業すると、部員がギリギリになっちゃうの。顧問の先生も、新入部員を探してるところだったし……ちょうどいいんじゃない?」
「ちょ、ちょっと待って! なんで僕が……!」
「お兄ちゃん、チアの衣装ってブルマじゃなくてスカートだから、そっちの方がいいんじゃない?」
妹がクスクスと笑いながら言う。
「い、いや、同じなものでしょ……!」
冗談だろう。僕がチア部なんて、そんなこと……。
「やるか、やらないか選んでいいよ?」
姉は静かに言った。
「でも、やらないなら……このまま外にいなくちゃいけないよね」
「……っ」
時計を見る。もうすぐ親が帰ってくる時間だった。この姿を親に見られるのだけは絶対に避けたい。
逃げ道はない。
「……わかったよ。チア部に入る」
それを聞いた瞬間、妹は満足げに鍵を回し、ドアを開けた。
「おかえり、お兄ちゃん♪」
――次の日
チア部の部室の前に立ちながら、僕は深く息を吐いた。
「……行くしかない、よな」
ドアを開けると、部長と姉が待ち構えており、チアの衣装とウィッグを手渡してきた。
「弟くん、初めまして!早速だけれどこれに着替えてくれる?」
手にしたのは、短いプリーツスカートにノースリーブのトップス。
「まさか……これを僕が?」
「当たり前でしょ。チア部に入るんだから」
「……」
仕方なく着替えを済ませると、それまで黙っていた姉は満足そうに頷いた。
「うん、なかなか似合ってるね」
「はぁ……」
ため息をつく暇もなく、部長から次の指示が飛んできた。
「じゃあ、まずは校庭をランニングね。もちろん、一人で」

「えっ!?」
「チアの基本は体力づくりだから。新入生はみんなやるんだけれど、転部はあなた一人でしょ?」
「いや、でも……!」
「さっさと行かないと、どんどん日が暮れて寒くなっちゃうよ?」
僕は観念し、スカートの裾を押さえながら、校庭へと駆け出していった——。
チア部生活開始
翌朝。まだ肌寒さが残る春先の朝に、僕は登下校用のチア衣装のまま玄関先に立ち尽くしていた。
「……これで本当に行くのかよ……」
赤と白を基調にしたトップスは、ノースリーブで肩がむき出し。プリーツスカートは膝上どころか、太ももの半分以上をさらけ出している。しかもインナーはスパッツではなく、黒いショーツ型のアンダーウェア。
姉が用意した“登下校用のユニフォーム”。
「大丈夫。そんなに変じゃないよ。むしろ似合ってる」
姉はにっこりと笑って僕の肩に手を添えた。
「それに、部の規則だからね。私も1年の時はこれで登下校してたし」
「いや、女子ならまだいいけど……!」
「性別は関係ないよ。チアって、応援の心があれば誰でもなれるんだよ」
姉の声は優しい。でも、逃げ場を許さない。
そんな“優しさ”が、僕をチア部に入部させたのだ。
家を出ると、すぐに視線の針が突き刺さってくる。
すれ違う生徒たち、バス停の主婦、同じ学校の下級生。目が合えばすぐにそらされ、すれ違うたびにクスクスと笑い声が背中で弾けた。
「……うぅ、なんでこんなことに……」
その日以来、登下校はチアユニフォームが指定。姉曰く「チア精神は日常から」ということで、普段の生活も“練習の一環”とされた。
でも、それはまだ序章だった。
教室に入った瞬間、空気が一変する。
女子用の体操服──それも、半袖にブルマ──を着た僕が教室に入ると、クラス中が静まり返る。笑う者もいれば、露骨に引く者もいる。でも、一番キツかったのは、誰も助け舟を出してくれないという事実だった。
「チア部員は日常も体力管理が大事。というわけで、男子用のジャージは禁止。女子用体操服で過ごしてもらうよ」
姉が顧問の先生にそう進言したらしく、教師もそれを了承していた。
休み時間になると、僕の机の周りに人だかりができる。スマホを向ける女子、生ぬるい視線を投げる男子、からかうような声。
「ねえ、恥ずかしくないの?」
「てか、毛とか剃ってんの?」
「今度の体育もそれで出るんでしょ? ヤバ……」
逃げ出したかった。でも、逃げたらまた“家に入れない”。
部活動の時間。姉と部長に促され、再びチアユニフォームへと着替える。
「はい、今日は校庭を10周ね! 元気に声出して!」
「じゃあ、いくよー!」
部長と姉が笑顔で先導し、他の部員も声を張り上げる中、僕だけがスカートの裾を押さえながら一人で走る。

視線は絶えず校舎の窓から注がれ、通りすがりの生徒たちがフェンス越しに見物していく。
「ほら、がんばって!」
姉の声はやっぱり優しかった。だからこそ、逆に逃げられない。
「……うぅ……っ」
恥ずかしくて息も絶え絶えな僕は、女子部員についていく事すらできず、一人泣きそうになりながらで走っていた。
ブルマとチアと制服…羞恥の果てに
「はいっ、そこ、サボらない! 腰が上がってるよ!」
姉の叱咤が、夕暮れのグラウンドに響いた。
膝をつきかけた僕は、震える腕でどうにか体勢を立て直す。土のにおいが鼻をかすめ、体操服のブルマに泥がついていくのがわかる。でも誰も、そんなことは気にしてくれない。
むしろ、それを「当然」として眺める視線ばかりだ。
「ほら、男子なんだから、せめてこれくらいはね?」
部長がクスクスと笑う。部員たちはすでに練習を終え、体育座りで僕を囲みながら、アイスを頬張っている。夕陽がスカート越しに脚を照らし、張りつく汗が布越しに冷たくなっていく。
「はい、次スクワット100回。声出して!」
姉がにこやかに命じた。
「い、いち……にぃ……っ」
スカートがふわりと揺れるたび、太ももの内側に風が抜ける。布がずれ、肌がぴたりと擦れて、視線の中でひときわ目立つ自分の姿が、もう何なのかわからなかった。
でも。
「……さんっ、しっ……」
なぜか、止められなかった。
どこかで「この理不尽さはおかしい」と思いながら、でも心の奥では、認めていた。
優しい顔をした姉が与えてくれるルール。
無関心な教師たちの黙認。
無言の視線。
この“檻”が、もう僕の居場所になっていた。
練習が終わったころには、足は笑い、腕は上がらず、汗と泥と自分の体臭が入り混じった香りが体を包んでいた。だけど、それが不思議と――嫌じゃなかった。
「おつかれさま、よく頑張ったね」
姉がタオルを差し出してくれる。
その柔らかさが、汗に濡れた頬を撫でる。
「……帰りも、そのまま帰るんだよね?」
「うん。チア部の伝統だからね」
僕は、微笑んだ。
着替えもせず、汗まみれのまま、プリーツスカートの裾を整える。体操服のまま通学路を歩く僕を、周囲の目がまた追ってくる。でも、もう立ち止まらなかった。
羞恥の先にあったのは、いつの間にか快感になっていた。
チアユニフォームを着せられ、ブルマで過ごす日々。部活では理不尽な扱いを受け、日常は視線の渦に晒される。それでも――僕は、やめたいと思わなかった。
「ねえ、明日は……どんな練習、かな?」
ポツリとつぶやいた言葉に、自分でも驚いた。
それはもう、拒絶でも疑問でもなく、ほんの少しの――期待。
赤く染まった夕空の下、ブルマのままの僕は、スカートを揺らして歩く。
背筋を伸ばし、視線を受け止めながら。
羞恥も、快感も、全部ひっくるめて。
これが、僕の新しい「日常」なんだと。

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