女子生徒という牢獄

制服の檻に閉じ込められて

「君は、明日から女子生徒として通うことになりました」

理解が追いつかないまま、俺は担任の声をただ聞いていた。

「制服はこれ。サイズは問題ないはずよ。それと、こっちが女性ホルモン。毎日決まった時間に接種すること」

担任は艶のある声で淡々と言いながら、机の上にきれいに畳まれたセーラー服と、見慣れない小さなボトルを置いた。手を伸ばして触れると、しっとりとした生地が指に絡みつく。スカートのプリーツは規則正しく並んでいて、今まで自分には無関係だった”それ”が、俺の胸を締めつけた。

「なんで俺が……」

「人数調整なのよ、ごめんねー」

言葉は軽いのに、俺の肩には信じられないほどの重みがのしかかった。

女子生徒として過ごす——そんなことが許されるのか? いや、それ以前に、そんなことが可能なのか?

「髪は伸ばしてもらうけど、それまではウィッグで対応してもらうわ」

担任は当然のように話を進めていたが、俺の頭の中は混乱で埋め尽くされていた。

「……無理です」

ようやく絞り出した言葉は、驚くほど弱々しかった。

「学校の決定よ。もし従えないなら、姉妹校に編入してもらうことになるわね」

「姉妹校……?」

「ええ。進学率も低いし、環境もあまり良くないわね。まぁ、あなたがそっちを選ぶなら止めないけど?」

担任の笑みは、どこか試すようなものだった。

逃げ道なんて、どこにもない。

翌朝、俺は鏡の前で硬直していた。

セーラー服のリボンを結ぶ手が震える。スカートの内側に潜り込んだ空気が肌に触れるたび、鳥肌が立った。ブラウスの袖口から覗く俺の腕は、まだ男のそれだったはずなのに、服の影響か、妙に華奢に見えた。

ホルモン剤の瓶が机の上にある。これを使えば、体は少しずつ変わっていくのだろうか?

震える指で瓶を掴み、キャップを開ける。ふわりと薬品の香りが鼻をくすぐる。

俺は、本当にこれを受け入れるのか?

時計の針は無情にも進んでいく。決断の時が迫る。

扉の向こうには、制服に身を包んだ俺を待つ新しい生活がある。

―――この一歩を踏み出せば、もう戻れない。

俺は瓶の中から3錠つまむと、水と共に一気に飲み干した……。


彼女の視線

次の日から俺にとっての非日常が日常のものとして進んでいく。女性ホルモンの摂取も続け、自分の体や声がどんどんと変わっていく。自分自身の意識も変わっていく。まるでもう一人の人間の人生を背負うがごとく…。

今日もいつも通り午前の授業が終わり、お昼ご飯を食べようとしていた。

「ね、ねぇ……」

すぐそばから小さな声が聞こえた。

私が振り向くと、そこにはクラスの大人しい女子が立っていた。視線は伏せがちで、細い指がスカートの裾をきゅっと握りしめ、まるで何かを言いたげだった。

「……あの、一緒に、お昼……食べない?」

「え?」

驚いて言葉を失った。彼女とは今までほとんど話したことがなかったはずだ。

「その、無理にとは言わないけど……えっと、その……」

頬を淡く染めながら、彼女は小さく息を吸い込んだ。

「制服、とても似合ってる……と思う、から……」

耳まで真っ赤にしながら、

「べ、別に変な意味じゃないよ……ただ、前から……その、気になってて……」

何かが胸の奥で跳ねた。

「……え?、それってどういう——」

「あっ、ご、ごめん! やっぱり忘れて!」

彼女は顔を覆って、ぱたぱたと逃げるように席に戻ってしまった。

私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。

——何だ、この気まずさ。

——なんで、こんなに心臓がうるさいんだ……!?

放課後、彼女はそわそわと私の席のそばを歩いていた。

「さっきの、気にしないでいいから……」

彼女の言葉はか細かったが、その仕草からはどこか私に近づきたいという意志が感じられた。

「いや、でも……、私のこと……」

「……」

彼女は私の顔をじっと見つめた。まるで言葉にならない何かを伝えようとしているみたいに。

「本当に、似合ってるんだよ。……すごく、かわいい」

そう言って、彼女は小さく微笑んだ。

私は一瞬、呼吸を忘れた。

——どうして、こんなに動揺してるんだ……!?


二つの鼓動、揺れる空

体育祭の朝、私は……いや“俺”は、また一つ女の子に近づいていた。

鏡に映る自分は、すっかり馴染んだ体操服に袖を通し、少しだけまつ毛を整えた顔で微笑んでいた。化粧なんてしていないのに、肌は艶を帯び、髪も柔らかく揺れている。ホルモンの影響は、確かに俺の形を少しずつ変えていた。

更衣室で、あの大人しい彼女がまた、前髪を整えてくれた。

「今日も……すごく綺麗だよ」

控えめに、でもしっかりと見つめてくる彼女の瞳。いつもより、ほんの少し距離が近くて、手が触れそうな位置にあるだけで、胸の奥がざわついた。

「……ありがとう」

そう答えながら、なぜだろう、逃げたくなるような恥ずかしさを感じた。

午後のリレー。日差しの熱と歓声に包まれて走り出す前、ふと、目が合った。

高身長で、無骨なのにどこか整った男子生徒。長い脚で軽やかに走るその姿は、目を惹くというより、息を止めさせる何かがあった。

ゴールの後、汗をぬぐっていると、彼がこっちに歩いてくる。

「頑張ってたな。お前、女子の中でも全然走れるじゃん」

笑顔は自然で、何気ない言葉のはずなのに、その“女子”って言葉が俺の耳に絡みついて離れなかった。

「そ、そうかな……」

視線が合わせられなかった。熱が顔に上がって、思わずスカートの裾をぎゅっと握った。

その夜、布団の中で、俺は二人の顔を何度も思い出していた。

静かで、優しく微笑んでくれる彼女。
活発で、男らしくて、でもどこか安心させてくれる彼。

彼女の細い指先が、俺の髪に触れた時の鼓動と。
彼の大きな手が、俺の肩を軽く叩いた時の体温と。

どちらも、今の俺には心を震わせるのに十分すぎた。

俺は、どうしたいんだろう。誰を見て、胸が高鳴っているんだろう。

―――それとも、もう“俺”じゃなくなりつつある自分が、それごと誰かに抱きしめられたいだけなんだろうか?

目を閉じても、まぶたの裏に焼きついた笑顔は消えてくれなかった。


染まりゆく心

俺は、彼の隣を歩いていた。体育祭の翌日、まだ太陽は高く、だけど風だけが少し秋の気配を帯びていた。

手は、つながれていない。ただ、肩が触れそうな距離で歩いている。それだけで、心臓が高ぶる。

視線を向けると、彼の背中は思っていたよりずっと大きくて、影にすっぽりと俺の身体が包まれてしまいそうだった。

「昨日のリレー、カッコよかったよ」

俺の声は、風にかき消されそうなほど小さかった。

でも、彼はすぐに立ち止まり、ふと振り返って微笑んだ。その笑顔は、日差しよりも眩しくて、俺は息を止めた。

「ありがとう。……でもさ、お前が応援席で見ててくれたから、頑張れたのかもな」

わざとらしいくらい真っ直ぐな言葉だったのに、なぜか信じてしまいそうだった。髪を撫でる風に、シャンプーの香りがふわりと広がる。彼がふと俺の髪に目をやったような気がして、思わずうつむいてしまう。

俺は――女の子として、見られている?

そんなわけない、そう思いながらも、スカートの内側を吹き抜ける風が太ももを撫でるたび、俺はもう“男”じゃない何かになっていく気がしていた。

「今日、さ……帰りにちょっとだけ、寄り道しない?」

彼が唐突に言った。

断る理由なんてなかった。むしろ、うなずいた瞬間、喉が乾いてしまうくらい緊張していた。


制服のブラウスは、肌に張り付くように汗を吸っていて、下着越しに感じる布の擦れが敏感すぎて、時折ゾクッと震えてしまう。

彼と並んで入ったファストフード店。冷房の風が素足の肌を撫でると、スカートの奥までひんやりと冷気が這い上がってきて、なんだか下着の内側まで意識してしまう。ドリンクのストローを唇で挟みながら、ちらりと彼の横顔を盗み見た。

「ずっと思ってたんだ。お前、前よりずっと綺麗になったよな」

「や、やめてよ、そういうの……!」

咄嗟に視線を逸らすと、頬が熱かった。耳の奥が脈打ってる。けれど、どこか嬉しかったのも事実だった。

俺は、彼に“綺麗”って思われたんだ。

「でも……俺……私、男だったんだよ?……」

「それでもいい。今のお前が好きなんだよ」

その言葉が、胸の奥を優しく強く叩いた。

彼の手がそっと、私の指に触れる。冷たい氷が溶けるような感覚。繋がれるかどうかの、ほんの一瞬の逡巡。

でも、次の瞬間には、私の手は彼の掌に包まれていた。

――温かい。

それだけで、涙が出そうだった。今までの葛藤や羞恥、逃げたくなるような視線たちが、彼の手の温度だけで溶けていく。

「帰ろっか。……送ってく」

彼の言葉に、私はこくりとうなずいた。
制服の裾が揺れるたび、今の“私”が誰かの大切な存在であることを、少しだけ信じたくなった。

けれど、玄関先でふと感じた違和感が、再び胸をざわつかせる。

――あの子、最近ずっと”私”のこと見てたな…。

静かで優しい、あのクラスの女子の顔が頭をよぎった。
だけど……私は女の子になる事を選んだのだ。


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