レーサーより向いていた職業

逆転する立場

控室の薄暗い蛍光灯の下、俺は一人きりだった。汗の染み込んだレーシングスーツを脱ぎ捨て、椅子に腰を下ろす。そこで目に入ったのは、隅のラックに無造作にかけられたレースクイーンの衣装だった。

伸縮性のあるボディスーツは、ポリエステル特有の滑らかさを持ちながらも、触れると少しだけ引っかかるような独特の手触りがある。俺の指先はまるで引き寄せられるように、その衣装に伸びていた。

試しに袖を通してみると、意外にも肌に馴染む感触が心地よい。胸元のラインが肌を柔らかく包み込み、腰を絞るシルエットが自分の体を強調している。鏡に映る俺の姿は滑稽だった。それなのに、心の奥底に沸き上がる高揚感を抑えきれない。

「何やってんの?」

突然、背後から声がして血の気が引いた。振り返ると、そこには数人のレースクイーンたちが立っている。彼女たちの目は驚きと、そして、嘲笑で輝いていた。

「やっぱりね。レーサーよりこっちが向いてたんじゃない?」

その言葉に、俺の顔はみるみる赤くなった。言い返そうと口を開くが、声にならない。言葉よりも早く、彼女たちの手が俺を囲み、次々と指示を飛ばす。

翌日、チームの発表で俺の役割は変わっていた。レーサーからレースクイーンへ。その空席には、チーム最古参のお局が笑顔で座っている。

「全部…あいつの計画だったのか…?」

お局は堂々とメンバーを率いて、チームの中心となりつつある。一方俺は新人レースクイーンとして先輩たちの言いなりだ。ウォーキング、ポージング、笑顔の練習。何もかもが屈辱的だった。

ルージュで真っ赤に染まった唇が鏡に映り込むたび、俺の中で何かが崩れていく。それでも、俺は耐えるしかない。ここから抜け出す方法は、まだ見つからない。

だが、俺は諦めない。このままで終わるわけにはいかないから。


徐々に変わっていく心境

お局――いや、今はもう彼女のことをレーサーと呼ぶべきなのかもしれない。

チームの正式発表で、彼女が俺の後任としてレーサーの座に就いたと聞いた時、そんな馬鹿なと笑い飛ばしたかった。でも、彼女がヘルメットを被り、レーシングスーツを纏う姿を目にした瞬間、笑いは喉の奥に引っ込んだ。

どこか懐かしい眼差しだった。レースのことしか見えていない、あの狂気じみた執念の目。俺もかつて、ああだった。

「信じられない…彼女が本当にレーサーになるなんて」

控室で呆然としていると、隣のレースクイーンが肩をすくめて答えた。

「何言ってんの。元々彼女、昔はレーサーだったんだよ」

「は…?」

「元レーサー以前に元男だったみたいよ。噂だけど……、当時の先輩にはめられて、レースクイーンに回されたって話。そこから性転換とか無理やりやらされたみたいよ」

俺は息を飲んだ。そういうことだったのか。

「それなら、なんで俺を…?」

「邪魔だったんでしょ。あんた、素質あったもんね。でも、今はすっかり”こっち側”になっちゃったけど」

隣のレースクイーンが意味ありげに俺の姿を見て、クスッと笑った。

俺は思わず、着ている衣装の裾を握りしめる。光沢のあるタイトなミニドレス。ピタッとした生地が腰回りに吸いつくようで、ふとした動作で滑らかに肌を撫でる。いや、俺はただ…一時的に着せられているだけで…。

「そういう顔しないの。あんた、もう似合ってるわよ?」

彼女の指先が俺の頬を撫でる。指についたラメの入ったパウダーが肌に移る感触。

俺は何も言えなかった。

「くっ…!」

夜、鏡の前で一人、俺は自分の顔を睨みつける。

ファンデーション、アイライン、ルージュ。どれも先輩たちに施され、綺麗に整えられた顔。確かに、ここ数日でメイクにも慣れてしまった。ハイヒールで歩くのも、ポーズを取るのも、違和感がなくなってきている。

「戻らなきゃ…」

俺は呟く。でも、何に?

レーサーに? それとも、元の”俺”に?

脳裏に焼きつくのは、今日のレースでの元・お局の姿。スーツを着こなし、堂々とマシンに乗る彼女。憧れと嫉妬が入り混じる感情が胸をかき乱す。そもそも俺の仕打ちは彼女がやられた事と同じだった!?

ドレッサーの上に置かれたリップに視線を落とす。ついこの間まで嫌悪感しかなかったはずのものを、俺は指でそっと撫でる。

触れた指先に赤がつく。その赤を見つめていると、不思議と安心するような気がした。

俺はもう少しだけ……

もう少しだけ……ここにいてもいいんじゃないか。


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